二元論的世界観と相対論的世界観 ― 2017/03/13
・・・えっ?えっっ?!マギコンビの表紙、来る?!次?!えっ?!マジで?!
マギコンビが表紙を飾る日は来ないだろうと思ってた。いや祈ってはいたけど。
次巻はマギコンビなんですか?!?!いやーーーーーーーーーーーーっ!!!
マギコンビが表紙を飾る日は来ないだろうと思ってた。いや祈ってはいたけど。
次巻はマギコンビなんですか?!?!いやーーーーーーーーーーーーっ!!!
すみません最近なんだか気落ちしてしまってて、ゲームをプレイして鋼に再燃していたり、レンタルコミックスをフル活用して進撃の巨人と東京喰種と結界師を読んだりしていて、マギからちょっと距離を取っていたんです・・・が・・・
マジかーーーーーーー?!ついにマギコンビの時代来たーーーーーーー!!!
とうとう此処まで来ましたか・・・長かったなあ。
私は正直もうマギコンビの表紙ツーショットは期待できないなと腹くくってて、いいとこ東西王マギのカルテットだろうなと踏んでました。ザガン攻略チームの表紙的な感じね。そうなると一番身長が高いジュダルがアリババのポジションに来るからヘソは見えねえーなあ・・・チッ
って思ってた。
ありがとう・・・大高先生ありがとう・・・ここまで期待させておいて別の進行中画像だったとしても私は恨まないから。夢見させてくれてありがとう・・・
リアル迷宮の動向は、ほぼ長期化が決定してしまいました。あーあ・・・
ま、そのつもりで腹はくくっていましたけどね。アイツら退き下がらないだろうなって。
でも、あからさまな嘘をついたり証拠を捏造したり逆に隠滅したり、やることが今までと一線を画して来た感があって、わたしは正直そこまで汚いことをしてくるとは思ってなかった。上層部にも多少は良心というものがあるだろうと期待していた。みながみな平気で嘘を吐けるわけがないと思ってた。
・・・平気なんだよね。びっくりした。なんか・・・そのことに落ち込んだ。
この人たちにだって家族がいるだろうに。たとえば自分の娘が同じ目に遭ったとしても、この人たちは平気なんだろうか。自分の仕事を家族に誇れるんだろうか。いや、誇る必要もないのか。誇れない仕事をしていて楽しいんだろうか。わたしには理解できない。
わたしって甘いんだろうか。甘いんだろうな・・・
ネット繋いだついでに進撃と東京喰種の感想を言ってもいいかな。
たまたまこの2作品を同時に読んだせいもあるかもしれませんが、鋼や結界師とは違うパラダイムの時代に来たな、と思いました。
9.11の前と後とでフィクションの世界観が変わったというような話を時々聞くけど、個人的には<二元論>の世界観が崩れたと思う。
「敵」に立ち向かう「私」、「悪」に立ち向かう「正義」っていう構図ではなくて、「敵の中の正義」、「悪かもしれない私」みたいな、んー・・・<相対論>?とでも言うのかな、そういう価値観。
「敵だと思っていたら味方だった」とか「味方の中に悪がいた」というのは、まだ<二元論>の枠組みで語られていることなので、このパラダイム自体は超えてない。セリムさまなんかはこの中に入るかな。罪のなかの希望というかね。七大罪という敵に残された善の芽みたいな存在だよね。わたしはそういう境界に生きる人が大好きなんだけど。そういえばエド自身、咎人の主人公だった。でも悪ではない。そこは明確だった。
でも進撃と東京喰種は明確な悪が存在しないんだよね。どちらにも正義があり一方から見れば他方が悪になる。<相対的>パラダイムだから主人公はおのずと「正義の味方」ではなく「群集劇の一視点」的な存在になる。だから魅力的で特別な存在である必要はなくて、どちらかといえば平凡で普通の存在でなければならない。相対的世界観の場合、戦うべき相手は「敵」ではなく、理不尽な世界の構造そのものにある・・・ってことになるかな?
因みに、もう単純に好みの問題でわたしは二元論的世界観がいい。どちらの価値観が優れているとかではなくて、いや三次元的には相対的価値観でなければならないと思うんだけど、少なくともフィクションとしては、わたしは二元論の考え方から抜け出せない、気がします。あまりにも長い時間、二元論的パラダイムに慣れすぎたので、相対的価値観に馴染めない。読んでいて混乱してしまう。でもきっと、この混乱こそが相対的世界観の魅力なんだと思う。現代人としても多分そっちが正しい。わたしは時代遅れなんだろうなあ、と思いました。
ファンじゃないからちゃんと聴いたことないけど、紅白で2回だけ見た「SEKAI NO OWARI」も、この相対論にばっちりハマった世界観だなーと思った。しかも押し付けがましくなくて、サラッと問い掛けだけ残して突き詰めない感じがイマドキなのかな。私は突き詰めたい方なのでピンと来ないんだけど、哲学的なテーマをフワッと投げるだけでそれ以上は追及しません、て感じ。
加えて進撃も東京喰種も人食い漫画なので、例によってこの手の生々しさが苦手なわたしにとってエンタメとしては若干しんどい。面白い、とは思うんだけど部屋に置くのがツライ(笑)
ちなみに最新刊まで読んでもやっぱり進撃はアルミンかなー。ご期待を裏切っていたらスミマセン(笑)だから最新刊はかなり面白かったけど最後の方はアルマトランでした。
―――そうそう!それで行くとマギは<二元論><相対論>どっちだ?!って話ですが、
少なくともアルマトラン以前は二元論的世界観だった、というのが私の感覚です。
最終章に入ってから急に相対論化した・・・っていうか主にアイツの所為ですが。
う~ん・・・急に、っていうのは違うんだな。大高先生は最初からこの地点を見越して描いているので、最終章で世界が一変したのと同時に世界観まで一新されてしまった、って感じ。
私がいまのマギの展開にイマイチついていけないのはそのせいなのか、単にリアルの状況が不安定だからなのか、自分ではよく分からない。
ただ・・・うーん、上手く言えないんだけど、鋼や結界師を読んでて感じるある種の安心感が最近のマギには感じられなくて、この違和感をわたしに言語化できる範囲で説明しようとしたらこんな風にしか分析できなかった、ってことだと思ってください。なんか、ごめんね。
そもそもフィクションに安心感が必要なのか?って話であって。それって単に予定調和なのかもしれないし。わたし予定調和はむしろ嫌いなんだよ。もし私の求めている安心感てのが二元論的世界観だとするなら、もうその時代は終わりつつあるんだろうな。って思いました。
あれ?進撃の感想を言うはずが結局マギの話になってしまった。まあ、私だからね(笑)
マジかーーーーーーー?!ついにマギコンビの時代来たーーーーーーー!!!
とうとう此処まで来ましたか・・・長かったなあ。
私は正直もうマギコンビの表紙ツーショットは期待できないなと腹くくってて、いいとこ東西王マギのカルテットだろうなと踏んでました。ザガン攻略チームの表紙的な感じね。そうなると一番身長が高いジュダルがアリババのポジションに来るからヘソは見えねえーなあ・・・チッ
って思ってた。
ありがとう・・・大高先生ありがとう・・・ここまで期待させておいて別の進行中画像だったとしても私は恨まないから。夢見させてくれてありがとう・・・
リアル迷宮の動向は、ほぼ長期化が決定してしまいました。あーあ・・・
ま、そのつもりで腹はくくっていましたけどね。アイツら退き下がらないだろうなって。
でも、あからさまな嘘をついたり証拠を捏造したり逆に隠滅したり、やることが今までと一線を画して来た感があって、わたしは正直そこまで汚いことをしてくるとは思ってなかった。上層部にも多少は良心というものがあるだろうと期待していた。みながみな平気で嘘を吐けるわけがないと思ってた。
・・・平気なんだよね。びっくりした。なんか・・・そのことに落ち込んだ。
この人たちにだって家族がいるだろうに。たとえば自分の娘が同じ目に遭ったとしても、この人たちは平気なんだろうか。自分の仕事を家族に誇れるんだろうか。いや、誇る必要もないのか。誇れない仕事をしていて楽しいんだろうか。わたしには理解できない。
わたしって甘いんだろうか。甘いんだろうな・・・
ネット繋いだついでに進撃と東京喰種の感想を言ってもいいかな。
たまたまこの2作品を同時に読んだせいもあるかもしれませんが、鋼や結界師とは違うパラダイムの時代に来たな、と思いました。
9.11の前と後とでフィクションの世界観が変わったというような話を時々聞くけど、個人的には<二元論>の世界観が崩れたと思う。
「敵」に立ち向かう「私」、「悪」に立ち向かう「正義」っていう構図ではなくて、「敵の中の正義」、「悪かもしれない私」みたいな、んー・・・<相対論>?とでも言うのかな、そういう価値観。
「敵だと思っていたら味方だった」とか「味方の中に悪がいた」というのは、まだ<二元論>の枠組みで語られていることなので、このパラダイム自体は超えてない。セリムさまなんかはこの中に入るかな。罪のなかの希望というかね。七大罪という敵に残された善の芽みたいな存在だよね。わたしはそういう境界に生きる人が大好きなんだけど。そういえばエド自身、咎人の主人公だった。でも悪ではない。そこは明確だった。
でも進撃と東京喰種は明確な悪が存在しないんだよね。どちらにも正義があり一方から見れば他方が悪になる。<相対的>パラダイムだから主人公はおのずと「正義の味方」ではなく「群集劇の一視点」的な存在になる。だから魅力的で特別な存在である必要はなくて、どちらかといえば平凡で普通の存在でなければならない。相対的世界観の場合、戦うべき相手は「敵」ではなく、理不尽な世界の構造そのものにある・・・ってことになるかな?
因みに、もう単純に好みの問題でわたしは二元論的世界観がいい。どちらの価値観が優れているとかではなくて、いや三次元的には相対的価値観でなければならないと思うんだけど、少なくともフィクションとしては、わたしは二元論の考え方から抜け出せない、気がします。あまりにも長い時間、二元論的パラダイムに慣れすぎたので、相対的価値観に馴染めない。読んでいて混乱してしまう。でもきっと、この混乱こそが相対的世界観の魅力なんだと思う。現代人としても多分そっちが正しい。わたしは時代遅れなんだろうなあ、と思いました。
ファンじゃないからちゃんと聴いたことないけど、紅白で2回だけ見た「SEKAI NO OWARI」も、この相対論にばっちりハマった世界観だなーと思った。しかも押し付けがましくなくて、サラッと問い掛けだけ残して突き詰めない感じがイマドキなのかな。私は突き詰めたい方なのでピンと来ないんだけど、哲学的なテーマをフワッと投げるだけでそれ以上は追及しません、て感じ。
加えて進撃も東京喰種も人食い漫画なので、例によってこの手の生々しさが苦手なわたしにとってエンタメとしては若干しんどい。面白い、とは思うんだけど部屋に置くのがツライ(笑)
ちなみに最新刊まで読んでもやっぱり進撃はアルミンかなー。ご期待を裏切っていたらスミマセン(笑)だから最新刊はかなり面白かったけど最後の方はアルマトランでした。
―――そうそう!それで行くとマギは<二元論><相対論>どっちだ?!って話ですが、
少なくともアルマトラン以前は二元論的世界観だった、というのが私の感覚です。
最終章に入ってから急に相対論化した・・・っていうか主にアイツの所為ですが。
う~ん・・・急に、っていうのは違うんだな。大高先生は最初からこの地点を見越して描いているので、最終章で世界が一変したのと同時に世界観まで一新されてしまった、って感じ。
私がいまのマギの展開にイマイチついていけないのはそのせいなのか、単にリアルの状況が不安定だからなのか、自分ではよく分からない。
ただ・・・うーん、上手く言えないんだけど、鋼や結界師を読んでて感じるある種の安心感が最近のマギには感じられなくて、この違和感をわたしに言語化できる範囲で説明しようとしたらこんな風にしか分析できなかった、ってことだと思ってください。なんか、ごめんね。
そもそもフィクションに安心感が必要なのか?って話であって。それって単に予定調和なのかもしれないし。わたし予定調和はむしろ嫌いなんだよ。もし私の求めている安心感てのが二元論的世界観だとするなら、もうその時代は終わりつつあるんだろうな。って思いました。
あれ?進撃の感想を言うはずが結局マギの話になってしまった。まあ、私だからね(笑)
ホームに戻る
BOOTH【自家通販】
【Pixiv】
ご連絡用フォーム