二元論的パラダイム・追考2017/03/14

ゴチャゴチャごたくを並べましたが、マギコンビを推してる時点でわたしは根っから二元論パラダイムに浸りきっているのですな。だって白黒マギですもん。

白と黒、天使と悪魔、太陽と月、善と悪、運命と堕転、アラジンとジュダルですよ。

マギコンビが対立概念でなければわたしはそもそもマギに転んでなかったと思うし、二元論的パラダイムであることがわたしがそのフィクションに興味を持つ必要条件なんだろうなあ。

いまフィクションといいましたが、ユヴァル的に言うところの<虚構>のことです。
わたしが(信仰の対象としてではなく、文化の対象として)キリスト教が好きなのも、この宗教が二元論パラダイムなのと切り離せない気がする。

この二つのパラダイムはけっこう使えるテーマかなと思ってもう少し語ってみる。

最近の覇王に違和感を感じている人はさ、覇王はすでに<人間>じゃなく<役割>だと思えばいいんじゃないかと思うよ。でも覇王が好きな人ほどそれは難しいと思うけど。

アイツは相対論的パラダイムにおける<構造の問題>とか<世界の歪み>みたいな役割を担わされたんじゃないかな、と思う。でも少なくともアルマトランまでのマギは二元論的パラダイムで、覇王は特異点とはいえ一応ひとりの<人間>だったから、わたし(たち)はその転換についていけない。

覇王を二元論的パラダイムにおけるラスボスとか悪みたいに解釈しちゃうと混乱すると思うよ。なんかちょっと酷な言い方をするなら、アイツはもう敵とか悪役っていう<人間>じゃなくて、構造の問題とか世界の歪みみたいな<役割>なんだろうと思う。

だから少なくとも覇王を倒して終わりってことはないね。「悪は滅んだ、めでたしめでたし」っていうのは二元論的パラダイムの結論だから。相対論的パラダイムで正されるべきは構造だから。そしてアイツは、正されるのを待っている。そういう<役割>。

二元論的パラダイムでは、悪の目的って究極的には世界征服なんですよねー。
鋼の錬金術師でさえ、敵の親玉であるホムンクルスが望んだのは神の御座ですからね。それって平たく言えば世界征服ですよね。あのひとジュダルと同レベルってことですよ(笑)

でも覇王は世界征服なんか望んでいないし、それはむしろジュダルの願いだったし、やっぱりマギは二元論的パラダイムから相対論的パラダイムに転換している気がする。パラダイムが転換したのにキャラと物語は存続しているから、しかも覇王ひとりに役割を背負わせちゃったから、わたしは混乱してるんだと思う。


相対論的パラダイム(なんか勝手にそう名付けちゃいましたが、他にもっとふさわしい命名があればそれでいいです)が9.11以降の潮流だとするなら、この流れは変わらないんだろうな、と思います。わたしはマギコンビを信奉する身としてやっぱり二元論的パラダイムが好きなので、大高先生が目指す方向とは違うんだろうけど、この価値観は変えないでほしかったな。

二元論の世界でなければ、マギコンビは成立しませんからね。
いや成立はするけれど、堕天使ジュダルの魅力は消え失せてしまうからね。
これからクライマクスに向かうと言うのに、なぜかちょっと前のマギが懐かしいと思えてしまうのは、あのころの世界観に戻りたいとわたしが望んでいるからなんだろう。わたしはたぶん、ジュダルには<悪>でいてほしかったんだよ。そのせいでアラジンに殺されてもかまわない。
でももう、悪として殺してもらうことすら出来ない。それがなんだか寂しい。


いろいろ書きましたが、マギとジュダルのファンであることは変わりないので、最後までしっかり見届けるつもり。ただちょっと、自分の中の違和感について自問しておきたかっただけ。

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