悪魔は悪魔を知る。2017/03/01

やっぱり書かずにいるのはもったいない?ような気が?するので書いておこうかなと。
いずれ実録漫画を描くつもりなので、リアル迷宮事情については書かないつもりだったんですが、わたしのことだから面倒になってやめちゃう可能性が高いのでやっぱり残しとく(笑)


私がいま職場復帰に向けてやっているのは裁判ではなく、団体交渉です。
今後の展開によっては裁判も視野に入れているのだけど、いきなり裁判沙汰にするんじゃなく、その前段階として組合に加盟し、そこの人たちと手を組んで法人と交渉する。
法人(たぜい) VS(に) 私(ぶぜい) だと分が悪いから、大人数でケンカするわけだね!

私からすると、アカの他人に協力してもらって身内とケンカするなんてヘンな感じがするんだけど、これは実際にこの状況になってみれば当然で、身内(同僚)を味方にすることは出来ないんですよ。なぜなら、

同じ職場(法人)に勤めている同僚は、私の味方をしたら次は自分が標的にされるかもしれないので表立って私に協力は出来ない。この構図はイジメとそっくりですね。コワイねー。
もちろん心情的にはわたしに同情してくれる同僚もいるし、こっそり味方してくれる人もいるんだけれど、裁判で証人になってもらうとか、は、難しい。わたしとしてもそこまで頼れない。

そこで組合の出番ー!!!なんだけど、ここで最初のトラップ。
組 合 が 敵 に 回 っ た ! チャララーン(効果音)!

ウチの法人にはもともと組合があって、ウチの職員であるかぎり最初から例外なく組合に加盟しています(これをユニオン・ショップ労働組合と呼びますが忘れていいです)。それで、さっそくウチの組合に助けを求めたところ、あろうことか法人の味方をされました。
私の味方をしてくれるはずの人たちが敵の味方をしたってことです。ホワイ?

これも今にしてみれば明らかなことなんですが、このユニオンショップ組合っていうのは性質上、法人(雇用者)と癒着しやすい体質なんだそうです。当たり前のことだけど、職員がみんな組合員てことは職場の上下関係がほとんどそのまま持ち込まれるので、上司に敵対すると自分の出世に響くわけ。だから本来の仕事をまともにやる意識がない。意識がないどころか、
ホイホイ雇用者の味方をして私と敵対する始末。

・・・手に負えねえ。


この状況に陥ったときは世も末だなーって思いましたよ。さすがの私も落ち込みましたよ。
てめぇらには良心ってもんがねぇのかい?義理も人情もねぇのかい?
こんな風に、敵対するべき法人に飼い慣らされてしまう組合を御用組合と呼ぶそうですが、これもテストに出たりしないので忘れていいです。つまり、そんな呼び名があるくらいだから別に珍しいことじゃないって・・・ことなんだろうなあ・・・世も末だよなあ。

さて、この状況で私が頼ったのはまず弁護士です。
かくかくしかじかなのでお願い先生、やっつけて!
が、弁護士先生の提案は、「まず組合による団体交渉」

組合つったってアイツら法人のイヌですよーダメですよーって訴えたところ、別の組合に加入するよう提案される。わたしとしては組合ってものに既にただならぬ不信感を抱いているので、「組合」って名称が出て来ただけでアレルギー出そうだったんだけど、餅は餅屋っていうし。

そして弁護士に紹介された組合に加盟し、今に至る、です。
実際にはもっと複雑ないきさつがあるんですが分かりにくくなるので単純化しました。


私はいちおう、ある種の専門的職業に就いておりまして、だから専門家に任せることは大事だと思っとるんですよ。餅は餅屋。蛇の道は蛇。悪魔は悪魔を知る。←コレすてき(笑)
で、組合を専門?とする人たちと実際に作戦練ったり団体交渉に参加したりして、やっぱプロは違うなーと思う。仕事の片手間に組合やってるウチの職員と比べたらお話にならない。

頭脳も交渉術も相手を見る能力
もすごいんですよ。一見ただのオッサンというか、縁側でお茶呑んでいそうな雰囲気なのに、温和そうな笑顔で油断させつつ相手の矛盾に鋭い質問をねじ込み、平和的な態度を見せつつ気付くと自分のペースで交渉を進めている。モノの数分しか喋ってないのに相手の性格を冷静に見抜く。すごい・・・プロの犯行や・・・

わたしはそこそこ人を分析する力はあるはずなのに、どうも身近な人とか肩書きのある人に対してはバイアスがかかって冷静な判断を失うみたいなのね。バイアスってか単純に期待しちゃうんだな。「こんな立派な肩書きのある人が、根も葉もない嘘を吐くわけがない」ってさ。
バッカじゃねーの!はいスイマセン!わたしってどうしてこう甘いんだろう。肩書きと誠実さなんて何の関係もないのにねー。むしろ肩書きのある人ほど嘘吐きというデータがあることを最近になって知りました。 世 も 末 だ 。 いや、昔から当たり前なのか?

で、このプロフェッショナルたちの仕事ぶりがホント勉強になるし面白いので、今はまずまず落ち着いて生きてます。世も末ではありますが、こんな人たちがいてくれるなら捨てたものでもないかな、と思える。

わたしも、そんなプロフェッショナルになりたいよ。

生々しさの匙加減2017/03/03

「東京喰種」を最新刊まで読了しまして、やっと直近の2~3巻あたりは面白いかな、と思えるようになってきたのですが、エンターテイメントを読んでいると言うより血だまりの中で諸行無常の修行をしている気分です。

なんでわたしはこの漫画を面白いと思えないのかなーと考えていて、思うところがあったのでちょっと書いてみる。これだけ支持されている漫画だから、つまらないハズはないんだよ。

「生々しさ」って、物語には必要じゃないですか。
でも、生々しさは少なくとも3っつくらいの種類に分けられるように思うんですよ。

<1>人間関係的生々しさ

アンタの夫は寝取ってやったわ!みたいな昼ドラ的生々しさ。泥沼関係とか痴情のもつれとか、あと血縁のような狭い人間関係のなかで起きるドロドロした陰湿さをはらむリアリティ。

<2>肉体的生々しさ

字面からいってこっちが本来的なんだと思うんだけど、人間と言うより「人体」にまつわる直接的な生々しさ。血とか内臓とか生身の人体としての表現が鮮烈であるもの。艶(なまめ)かしい性描写もここに入る。

<3>精神的生々しさ

心をえぐられるような心理的生々しさ。人間の内面、弱さ醜さ愚かさをとことん暴き、感情や思考を分析し、暴きだすようなメタ認知的・分析的表現。


「生々しい」って「リアル」ってニュアンスがあるじゃないですか。だからフィクションである漫画では大事な要素だと思うんですよ。リアリティがなかったらどんなフィクションもつまらない。
だから、生々しさはぜったいに必要なんだけど、どんな生々しさがどの程度あるかによって好みが分かれるのではなかろうか。

私は圧倒的に<3>の精神的生々しさが好きで、これがなければどんな本でも読む価値はないと言い切れる。これは小説でも自己啓発本でも漫画でも同じです。

でも例えばまっとうな?腐女子としてエロいジュダルは読みたい(断言!)ので肉体的生々しさもほしいわけ。てかジュダルから肉体的魅力を奪ったら何が残ると言うの。もはやルフしか残らねえよ!

それに、鋼のアルエドに青春を捧げた身として人間関係的生々しさも除外できない。
いちおう兄弟カップリングですしね。でもね、あのね、アルエドの関係性はね、

たとえ自分を犠牲にしてでも相手を生かそうとする愛情と言う名の呪い なんですよ。
でもアルは鎧の身体だから生身がない、そこが絶妙に生々しさを削いでいる。
いやーそういうわけか!アルエドの魅力がいま分かった(笑)

たとえフィクションでも私がぜったいに読めないのは性的虐待なんですよ。これってつまり<1>から<3>までフルコンプリートの陵辱ですからね。私はこれだけはどうしてもダメ。

そんなわけで精神的生々しさがメインにあって、そこに多少の人間関係的・肉体的な生々しさがあることが、私が「面白い」と思う必要条件なんだろうな、と思います。冨樫なんかはこの辺が絶妙なんだよな。あのひとメンタルレイプ・プレイヤーっていう別名があるそうですが、基本は精神的生々しさだと思うんだよ。でも精神的にヤバくなると肉体的生々しさに走るよね。キメラアント編とかヤバかったよね。

サンデー本誌がこんなときに申し訳ないんだけれど、いまゲームをきっかけに鋼に再燃してるんですよ。なつかしいー!とやっぱり好きだー!と同時にふたつの感慨がある。
ロイ・マスタングを見てて
  \イラッ/
とする感覚と、覇王を見ていて(以下略)の感覚はすっごく近いなーと思いました(笑)
ロイエドとシンジュのターゲットは近いと思う。いや逆は・・・どうかな(笑)

以上ちょっと脱線しましたが、あくまで主観的な分類なので「その解釈は違う!」と思ってもスルーしてくださいね。わたしはそう思いました、ってだけです。
↑この手の注意書きは私はなるべく書きたくありません。なぜなら読者さんのリテラシーを信頼してないってことになるからです。今後は省略していきますね。

二元論的世界観と相対論的世界観2017/03/13

・・・えっ?えっっ?!マギコンビの表紙、来る?!次?!えっ?!マジで?!
マギコンビが表紙を飾る日は来ないだろうと思ってた。いや祈ってはいたけど。
次巻はマギコンビなんですか?!?!いやーーーーーーーーーーーーっ!!!

すみません最近なんだか気落ちしてしまってて、ゲームをプレイして鋼に再燃していたり、レンタルコミックスをフル活用して進撃の巨人東京喰種結界師を読んだりしていて、マギからちょっと距離を取っていたんです・・・が・・・

マジかーーーーーーー?!ついにマギコンビの時代来たーーーーーーー!!!

とうとう此処まで来ましたか・・・長かったなあ。

私は正直もうマギコンビの表紙ツーショットは期待できないなと腹くくってて、いいとこ東西王マギのカルテットだろうなと踏んでました。ザガン攻略チームの表紙的な感じね。そうなると一番身長が高いジュダルがアリババのポジションに来るからヘソは見えねえーなあ・・・チッ
って思ってた。

ありがとう・・・大高先生ありがとう・・・ここまで期待させておいて別の進行中画像だったとしても私は恨まないから。夢見させてくれてありがとう・・・

リアル迷宮の動向は、ほぼ長期化が決定してしまいました。あーあ・・・
ま、そのつもりで腹はくくっていましたけどね。アイツら退き下がらないだろうなって。
でも、あからさまな嘘をついたり証拠を捏造したり逆に隠滅したり、やることが今までと一線を画して来た感があって、わたしは正直そこまで汚いことをしてくるとは思ってなかった。上層部にも多少は良心というものがあるだろうと期待していた。みながみな平気で嘘を吐けるわけがないと思ってた。

・・・平気なんだよね。びっくりした。なんか・・・そのことに落ち込んだ。

この人たちにだって家族がいるだろうに。たとえば自分の娘が同じ目に遭ったとしても、この人たちは平気なんだろうか。自分の仕事を家族に誇れるんだろうか。いや、誇る必要もないのか。誇れない仕事をしていて楽しいんだろうか。わたしには理解できない。
わたしって甘いんだろうか。甘いんだろうな・・・


ネット繋いだついでに進撃と東京喰種の感想を言ってもいいかな。
たまたまこの2作品を同時に読んだせいもあるかもしれませんが、鋼や結界師とは違うパラダイムの時代に来たな、と思いました。

9.11の前と後とでフィクションの世界観が変わったというような話を時々聞くけど、個人的には<二元論>の世界観が崩れたと思う。
「敵」に立ち向かう「私」、「悪」に立ち向かう「正義」っていう構図ではなくて、「敵の中の正義」、「悪かもしれない私」みたいな、んー・・・<相対論>?とでも言うのかな、そういう価値観。

「敵だと思っていたら味方だった」とか「味方の中に悪がいた」というのは、まだ<二元論>の枠組みで語られていることなので、このパラダイム自体は超えてない。セリムさまなんかはこの中に入るかな。罪のなかの希望というかね。七大罪という敵に残された善の芽みたいな存在だよね。わたしはそういう境界に生きる人が大好きなんだけど。そういえばエド自身、咎人の主人公だった。でも悪ではない。そこは明確だった。

でも進撃と東京喰種は明確な悪が存在しないんだよね。どちらにも正義があり一方から見れば他方が悪になる。<相対的>パラダイムだから主人公はおのずと「正義の味方」ではなく「群集劇の一視点」的な存在になる。だから魅力的で特別な存在である必要はなくて、どちらかといえば平凡で普通の存在でなければならない。相対的世界観の場合、戦うべき相手は「敵」ではなく、理不尽な世界の構造そのものにある・・・ってことになるかな?

因みに、もう単純に好みの問題でわたしは二元論的世界観がいい。どちらの価値観が優れているとかではなくて、いや三次元的には相対的価値観でなければならないと思うんだけど、少なくともフィクションとしては、わたしは二元論の考え方から抜け出せない、気がします。あまりにも長い時間、二元論的パラダイムに慣れすぎたので、相対的価値観に馴染めない。読んでいて混乱してしまう。でもきっと、この混乱こそが相対的世界観の魅力なんだと思う。現代人としても多分そっちが正しい。わたしは時代遅れなんだろうなあ、と思いました。


ファンじゃないからちゃんと聴いたことないけど、紅白で2回だけ見た「SEKAI NO OWARI」も、この相対論にばっちりハマった世界観だなーと思った。しかも押し付けがましくなくて、サラッと問い掛けだけ残して突き詰めない感じがイマドキなのかな。私は突き詰めたい方なのでピンと来ないんだけど、哲学的なテーマをフワッと投げるだけでそれ以上は追及しません、て感じ。

加えて進撃も東京喰種も人食い漫画なので、例によってこの手の生々しさが苦手なわたしにとってエンタメとしては若干しんどい。面白い、とは思うんだけど部屋に置くのがツライ(笑)
ちなみに最新刊まで読んでもやっぱり進撃はアルミンかなー。ご期待を裏切っていたらスミマセン(笑)だから最新刊はかなり面白かったけど最後の方はアルマトランでした。

―――そうそう!それで行くとマギは<二元論><相対論>どっちだ?!って話ですが、
少なくともアルマトラン以前は二元論的世界観だった
、というのが私の感覚です。
最終章に入ってから急に相対論化した・・・っていうか主にアイツの所為ですが。

う~ん・・・急に、っていうのは違うんだな。大高先生は最初からこの地点を見越して描いているので、最終章で世界が一変したのと同時に世界観まで一新されてしまった、って感じ。
私がいまのマギの展開にイマイチついていけないのはそのせいなのか、単にリアルの状況が不安定だからなのか、自分ではよく分からない。

ただ・・・うーん、上手く言えないんだけど、鋼や結界師を読んでて感じるある種の安心感が最近のマギには感じられなくて、この違和感をわたしに言語化できる範囲で説明しようとしたらこんな風にしか分析できなかった、ってことだと思ってください。なんか、ごめんね。

そもそもフィクションに安心感が必要なのか?って話であって。それって単に予定調和なのかもしれないし。わたし予定調和はむしろ嫌いなんだよ。もし私の求めている安心感てのが二元論的世界観だとするなら、もうその時代は終わりつつあるんだろうな。って思いました。

あれ?進撃の感想を言うはずが結局マギの話になってしまった。まあ、私だからね(笑)

二元論的パラダイム・追考2017/03/14

ゴチャゴチャごたくを並べましたが、マギコンビを推してる時点でわたしは根っから二元論パラダイムに浸りきっているのですな。だって白黒マギですもん。

白と黒、天使と悪魔、太陽と月、善と悪、運命と堕転、アラジンとジュダルですよ。

マギコンビが対立概念でなければわたしはそもそもマギに転んでなかったと思うし、二元論的パラダイムであることがわたしがそのフィクションに興味を持つ必要条件なんだろうなあ。

いまフィクションといいましたが、ユヴァル的に言うところの<虚構>のことです。
わたしが(信仰の対象としてではなく、文化の対象として)キリスト教が好きなのも、この宗教が二元論パラダイムなのと切り離せない気がする。

この二つのパラダイムはけっこう使えるテーマかなと思ってもう少し語ってみる。

最近の覇王に違和感を感じている人はさ、覇王はすでに<人間>じゃなく<役割>だと思えばいいんじゃないかと思うよ。でも覇王が好きな人ほどそれは難しいと思うけど。

アイツは相対論的パラダイムにおける<構造の問題>とか<世界の歪み>みたいな役割を担わされたんじゃないかな、と思う。でも少なくともアルマトランまでのマギは二元論的パラダイムで、覇王は特異点とはいえ一応ひとりの<人間>だったから、わたし(たち)はその転換についていけない。

覇王を二元論的パラダイムにおけるラスボスとか悪みたいに解釈しちゃうと混乱すると思うよ。なんかちょっと酷な言い方をするなら、アイツはもう敵とか悪役っていう<人間>じゃなくて、構造の問題とか世界の歪みみたいな<役割>なんだろうと思う。

だから少なくとも覇王を倒して終わりってことはないね。「悪は滅んだ、めでたしめでたし」っていうのは二元論的パラダイムの結論だから。相対論的パラダイムで正されるべきは構造だから。そしてアイツは、正されるのを待っている。そういう<役割>。

二元論的パラダイムでは、悪の目的って究極的には世界征服なんですよねー。
鋼の錬金術師でさえ、敵の親玉であるホムンクルスが望んだのは神の御座ですからね。それって平たく言えば世界征服ですよね。あのひとジュダルと同レベルってことですよ(笑)

でも覇王は世界征服なんか望んでいないし、それはむしろジュダルの願いだったし、やっぱりマギは二元論的パラダイムから相対論的パラダイムに転換している気がする。パラダイムが転換したのにキャラと物語は存続しているから、しかも覇王ひとりに役割を背負わせちゃったから、わたしは混乱してるんだと思う。


相対論的パラダイム(なんか勝手にそう名付けちゃいましたが、他にもっとふさわしい命名があればそれでいいです)が9.11以降の潮流だとするなら、この流れは変わらないんだろうな、と思います。わたしはマギコンビを信奉する身としてやっぱり二元論的パラダイムが好きなので、大高先生が目指す方向とは違うんだろうけど、この価値観は変えないでほしかったな。

二元論の世界でなければ、マギコンビは成立しませんからね。
いや成立はするけれど、堕天使ジュダルの魅力は消え失せてしまうからね。
これからクライマクスに向かうと言うのに、なぜかちょっと前のマギが懐かしいと思えてしまうのは、あのころの世界観に戻りたいとわたしが望んでいるからなんだろう。わたしはたぶん、ジュダルには<悪>でいてほしかったんだよ。そのせいでアラジンに殺されてもかまわない。
でももう、悪として殺してもらうことすら出来ない。それがなんだか寂しい。


いろいろ書きましたが、マギとジュダルのファンであることは変わりないので、最後までしっかり見届けるつもり。ただちょっと、自分の中の違和感について自問しておきたかっただけ。

リアルで手一杯。2017/03/20

うわーっ そうかーバレンタインかー。
ここ数ヶ月はリアルのことが手一杯でそんなことスッカリ忘れてました。そっかー。最後にジュダル宛てに送っておけば良かったなあ。
それでもアリババ抜いて4位ってすごくない?ここ1年まともな出番がなかったのに4位ってすごいよね。わたし以外にもヤツを愛している人がこんなにいると思うと嬉しいよ。

リアル迷宮の方は、ほんとうに真実と断罪めいて来て、完全に心理戦の様相です。
わたしの仕事は長期化しても消耗しないこと。精神的に追い込まれないこと。追い込まれても自分を見失わずにいること。自分の精神衛生をまもること。書いてて哀しくなって来た。

なんかねーもうねー・・・。同僚から職場の情報がいろいろ入って来るんだけど、そんなことまでするか?!って飽きれるような汚いことを平気でするんだよね。

例えば「仕事中に居眠りしていた証拠写真がある!」って言われたんだけど、当時の記録をこっそり調べてもらったら、その日は職務の一環で音楽鑑賞会が行われたのね。つまり、目を閉じて音楽に聴き入っている姿を居眠りとしてでっち上げた、というわけ。この手の詭弁や捏造は他にも山ほどあるのだけど、それをすべて証明していかなきゃならない。気が遠くなりそう。

こんなことをするくらいだから、相手側はわたしに非がないことなんて百も承知なんですよ。わたしに何の落ち度もない(好かれる努力をしなかったという以外)のに、ここまで容赦なくわたしを陥れたり悪意を向けたりすることが理解できない。上司の命令ならこの人たちは文字通り、ほんとうに何でもできるんだな。ヒトラーに命令されたら躊躇なく人を殺せる側の人間なんだな。仕方ないか。人間の8割がそうなんだから。じゃあやっぱり、私がおかしいのか。

こんな状況で、無力感に陥らずに生きるってむずかしい。
今となっては、私が一番恐ろしいのは無力感。
此の世は理不尽で、わたしにはどうすることもできないと絶望してしまうこと。

楽しい話題がなくて申し訳ないんだけど、良いことも悪いことも残しておきたいと思うので、しばらくはこんな感じだと思います。今年一年はマギのことだけ考えて生きていたかったのになー。