鋼展に行ってきたよ2017/10/02

▼鋼展、展示入れ替え前の最後の日に行ってきました!

からの、鋼カフェにも行ってきました▼

私こーゆーお店に行ったことないので一緒に行ってくださったYさんには感謝です。お客様ノートってのもあったのでせっかくだから長男二人を描いてきました!私は鋼展、この二人の描き下ろしを見に行ったの!


朝日新聞の荒川先生のインタビューを読んで絶対に行こうと思ってたんだ。 Twitterに感想書いたら満足しちゃって例によってここで書くのが遅れちゃって。でも大切だからここでも書いておく。



まず荒川先生、最初の数巻分は12色のアクリルガッシュのみだったそう。5巻あたりまでやたらと表紙が原色よりなのはそのせいもあるかと。その後リキテックスを使うようになったのは画集でもおっしゃってた通り。あと、カラー原稿における荒川先生の黒のマット感が大好きなんだけど、作画工程を見て納得するところが多かった。何しろすごく丁寧。マスキングテープできちんと処理をしてから(だから均質に塗れる)下地にグリーンのベースを塗っていた。あと服の影部分は先に塗っていて後で全体のカラーを塗っておられた。耐水性の画材だからできる技ですね。

リザさんのライフルの模型があったんだけど「荒川先生私物」とあって、さすが〜!と思ってしまった。ライフルと拳銃がある職場。あとテーマに沿った展示になっているけど、本筋と関係ないイラストは最後のほうにまとめておいてあって、なんだかそれがすごくもったいない感じ。マフィア組とか画集の最後にある東西兄弟とか今回描き下ろしの2枚とか、あの部屋だけで1時間は見る価値あると思うんだけど、それ知っていたらペース配分をもう少し考えて見れたのに〜>_<

描き下ろしの二枚は対になっていて、エドのポジションをセリムがそのままやっているので、普段のセリムならやらないようなポーズなのが個人的にはすごく嬉しくてね。基本あの子はいい子演じてるからエドみたいな不良っぽいポーズはしないじゃない。でもセリムはエドにある種の憧れがあったと思ったりとか、色々懐かしかったなー。
語ることがすっかりセリエドですいませんね。あれだけ長い時間アルエドに青春を捧げてきたのに最後がセリエドで、それをそのままマギコンビに引き摺ってしまいました。


ちなみに鋼展で手に入れた土曜日のしおりとカフェのコースターはこのラインナップ。
七大罪好きなら土曜日がお勧めです。七大罪なのに安息日をきっちり守る逆背徳感がたまらなく好き。

すごく久しぶりにこのブログの記事カテゴリに鋼を使った(^^)

人生で一番早い決断2017/10/02

仕事始めの最初の週から、もうやめようと思っていた職場でしたが、まさかほんとにこんなに早く辞めることになると思わなかった。
これ以上はもう無理だ、と決心してから36時間で辞職することになった。

多分人生で最速の決断だった。こんな大事な決断をこんなに早く下してしまっていいんだろうかと我ながら慄いているのですが、何事にも迷い深くなかなか心が決まらない私がこんなにあっさり決断したのだから、きっと間違いじゃないのだろうと思う。

もう無理だ、と思ったのには最低でも5つの理由があるのですが、決め手となったのは教育係である同僚の言葉にはっきりと悪意を感じたからです。 この一か月の間、「ちょっとキツいけど悪意は無いんだ」とか、「冷たい物言いだけどこれがクセなんだろう」とか、「厳しい人だけどきっと私のためを思ってのことなんだ」とか、およそ考え得る限りなるべく善意に解釈をしてきたのだけど、ある日ひとつの事実に気付いた。

彼女の質問に対しどう答えても私が不利な立場に立たされてしまうということ。
「何か要望があるなら言って」と意見を求められたので、正直に思うところを述べたら「そんなことも出来ない人間は初めてだ」と返される。なぜ今まで聞かなかったの?」と問われたから、ためらっていた理由を述べたら「だって今は聞いたじゃない」と返される。何をどう答えても私に非があることになってしまう。でも私が至らないのは事実なので反論の余地は無い。そうしてどんどん追い詰められてゆき、彼女に萎縮するあまり私は主体的に考えることができなくなり、自我とか自尊心とかが崩壊しかかった。

こういうコミニュケーションスタイルを double blind  message と言うのだけど、これは精神病を発症する環境因と言われているものです。私はこの言葉を知っていたのに、自分が日々まさに陥っているのがそれだとは気づかなかった。一ヶ月ものあいだ。彼女の攻撃に対してまったくの無防備だった。職場で泣いたことなんて社会人一年生の時まで遡る。職場で泣く女が大嫌いなので、どんなに悔しくても泣くことなど私はまずないのですが、怒りや悲しみではなく恐怖で泣いた。彼女を前にすると身が竦んで思考がフリーズし、かってに涙が出た。恐怖でも涙が出るのだと私は初めて知った。

それでも他に理由がなければ私は歯を食いしばってでもこの職場にとどまったと思うのですが、幸か不幸かここにしがみつきたい理由がなかったので、人生最速の決断を下すことになった。その気になれば決断を下すのに時間は要らないんだということも初めて知った。

毎日毎日どうしてこんなに苦しいのか不思議だった。
私はどうも身近な人に対しては良心的に考えるクセがある。「この人に悪意があるはずがない」とか「平気で悪事を働けるはずがない」とか。これは一種の良い子病なのかも知れない。

特に家の中で立場の弱い子供が陥りやすいコミニュケーションの罠なんだけど、もし子供時代に苦しい思いをしたことがあると言う人はいちどググってみるといいかも。私は言語化能力けして低い方ではないので滅多にこの罠にはかからないのだけど、それゆえ気付くのが遅れた。

そんでセルフメディケーションのために無心になれるものが欲しくて、私はとうとう松ゲームに手を出した。でもこれ依存症高そうだからメディケーションにならない。

終わりを始める。2017/10/07

明日のスパークは東3 グ28b、VITAL*SONGSにいます。

 Twitterやってるとどうしてもこちらでのご連絡が後手に回りますねスミマセン!
明日のスパークですが、私生活がこんなだったので新刊はありません。夏コミの新刊をもっていきます。今はもう生きてるだけで褒めてください。

本誌のこの状況でおいそれと原稿描けないという事情もありますが。きっと最終回を消化してから色々と描きたいものがまとまるのではないかと思います。
というか、正直なところマギが終わってしまうと言う実感がまったくありません。鋼の時と全然違う。ところどころ鋼を思い出す展開ではありますが。なんだろうこの感じ。離人感というやつなんだろうか。もっと…こう、期待と恐怖と感慨がないまぜになった気持ちで日々を過ごすことになるだろうと覚悟していたのに。

こんな調子でまことに中途半端な私ではありますが、イベントは私にとってリアルの交流ができる非常に貴重な機会なので気軽にお声かけて頂けたら本当にうれしいです。オンラインにはオンラインの良さもあると最近は思いますが、それでもやっぱりリアルの体験の方が残るし響く。私は誰かと出逢うために描いている。だから気軽に逢いに来て下さると嬉しいです。


 十年近くも読者でいてくださった方で、マギのイベントで初めてまともに会話したのをきっかけにお友達になった(と少なくとも私の方は思っている)方がいるのですが。
その彼女がいみじくもこう言ったのですよ。
「声をかけるつもりはなかった。声をかけたら関係が始まってしまうじゃないですか。始まるということはいつか終わるってことだから。だから始めないつもりだった。」

これは、ものすごく簡潔に、されど正確に、人との出逢いを述べた表現だと思うよ。
始めてくれてよかったよ!!!私、何のために描いてきたのか分からないじゃない!

終わりが始まるのは本当に怖い。それは私も怖い。始めなければ終わることもなかったと、悔やんだことが私にだってないわけではない。それでも、始まらないまま終わる方がよっぽど大きな損失だと思うわけです。

人生は誰かと、何かと、出逢うためにある。
私はそう思う。

そんなわけで気軽にお声かけてくださればうれしいです(長い前フリ)!
スケブお預かりした方は明日お返しします。明日もなるべくお引き受けするつもりなのでお声かけてみてください( ^ω^ )