善と悪と聖書と私2018/08/04

特に解説もなくしれっと描いてしまいましたが、「二人の御子がありました」のこのシーンとかは当然ながら聖書のベツレヘムのエピソードが元ネタ。(昨日の記事の続き)

マギは聖書の時代でいう天文学者なので、予言の星のもとに生まれた救世主を訪問したわけです。で、それぞれ贈り物をしたとされている。個人的にトラン世界は太陽がみっつだったのが、それだと地球が公転出来ないので月がみっつの方がよかったなーと思ってるけど、まぁファンタジーなので。

この本では救世主に当たる人物をマギコンビにしてしまった(しかも古来、多胎児は不吉の象徴であることが多い)から聖書的には大変混乱した内容だし、今となってはいろいろ捏造設定になってしまったけど、それを言うなら「マギ」自体が聖書や神話的な内容を意図的にカオス化させた作品ですから、私は気にしない。

私は大高先生の描かれる、そういう意図的な意外性?倒錯性?が好きなのですよ。元は神杖だった金属器に宿るのが悪魔だったりとか、マグノ編とトラン編の最後に出てくる黒いジンは、ヒンドゥー?だっけ?の神様をモデルにしたと仰っていたし。練家の三兄弟の振れ幅は意外性で片付けていいレベルか未だに疑問ですけど。特定の信仰を持ってる人にとってはけっこう際どい世界観だと思うんです。でも、そこが好き。

ついでに、この本ちょうど最後の一冊が先日の迷宮で完売しました。大人買いして下さったお嬢さんのおかげです。ありがとうございました!これ描いたときはまだトラン編始まるずっと前だったので、ソロモン王の顔が分かんなくてずっとこれで通したんだよ、大変だったなー。まさかあんなイケメンとはね。あの顔はズルい。

マギの二次創作を聖書の世界観で描けてた頃が一番愉しかったなぁーと今となっては思います。あの頃が一番、原作を曲げることなく自由な設定で描けて、聖書や神話のメタファーが使えて、マギコンビの過去や因縁を好きに作れて、ほんとに愉しかったよ。トラン編はそれはそれで好きだったけど(例によって新章が始まる時の大高先生の面白さは桁違いだし)、トラン編でだいぶマギコンビの自由度が限られてしまって、直後に覇王とジュダルの決別だったので私は色々と消化しそびれた。それも迷宮ベリアルですべて吹っ飛びましたけど。

私はどうも、罪人と(偽)悪者に惹かれるのよね。だから宗教的なモチーフになるのは必然なんだと思うな。単純に聖書って面白いと思うし。せめていつの日か旧約聖書くらいは読破したいと思いつつ、メタファーばっかで何言ってるか分かんない\(^o^)/
例えばこれ。
我見しに、視よ蒼褪めたる馬あり。此れに乗る者の名を死といい冥府これに随う。
彼らは地の四分の一を支配し剣と飢饉と死と地の獣をもて人を殺すことを許されたり。

しつこいけどこれ、べりありゅさんの初登場シーンだと思ってるよ!
ザガンは地属性だしね。ザブラックは死の使者です。たまんない・・・


あ、コリント人への手紙も好きです。これも何度かここで書いたけど、
其は、知恵の多きは悩み多く、知識を増す者は憂いを増すなればなり
あまりに悩んだり苦しんだりした時は、この言葉が私の支え。悩みがあるということは、それまで悩むことすらなかった世界の理不尽を知ったということ。悩んだ分だけ自分が賢くなれると思えば少しは気が楽になる。

こんなことをいうと差別と誤解される恐れがあるからあんまり大きな声では言えないけれど、私は道徳って知性に比例すると思うのよ。もちろん世の中にはズル賢い奴もいるし、知的な障害を抱えていても自分を犠牲に出来る子もいるから正比例ではないけれど。道徳心て充分な知性が無いと成熟しないのは確かだと思う。私は仕事がら自己中心的な「善」のために悪事を働き実刑を受けた人たちを見てきた。最近も「LGBT差別と低IQに正相関がある」ってネットニュースあったじゃん?無知であるということは、それだけ世界の理不尽や苦しみに対して無関心ということで、それは善とは言えない。

悩みがあるということは優しくなれるチャンスなんだよ。せっかく苦しんだんなら成長しなきゃ勿体無くない?(貧乏性)悩みをこじらせて悪に堕ちることもあるけどさ。私は少なくとも二次元では後者の悪人が大好きで、三次元では前者の優しい人が好きさ。

こうブログの記事が長い時は何かから逃避している時です。今はお勉強から・・・
寝ます。明日はスタバって勉強しよう・・・

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